足跡をたどる

長崎県 平戸市

 平戸の知名度は高くはありませんが、とても魅力的な場所の1つです。16世紀、ポルトガル貿易商はこの港町を「フィランド」と呼んでいました。平戸は日本の最西端に位置し、現在も比較的隔離された場所にあるとはいえ、450年以上も前から続くポルトガル、オランダ、イギリス、中国との深い歴史的つながりが町の誇りです。

平戸には仏教寺院とキリスト教会が共存しており、小川に架かる日本最古の石造りアーチ橋を渡ると、17世紀にリチャード・コックスが率いたイギリス貿易商の記念碑があり、歴史を感じさせる豊かな街並みが広がっています。

621年当時の平戸湾の地形図。左端、海岸線から奥まったところにある白い旗と赤い十字架は、イギリスのセント・ジョージ十字架を示す         出典:Isaac de Graaffによる画像提供

按針ローズガーデンからの景色

平戸の海岸を少し歩くと、オランダ人がこの地に住み、貿易を行っていた名残のある古い階段路や壁が見えてきます。オランダ人が日本と交易をした商館は、海沿いの場所に元通りに再建されています。そのすぐ裏の丘の上にある公園には、ウィリアム・アダムスの墓があり、地元の方たちがいつも愛情を込めて手入れをしています。そこからは海を見渡し、町と港を見下ろす丘の上に建つ松浦氏の居城であった平戸城を望むことができます。その先には、平戸と九州の間の狭い海峡を結ぶ鮮やかな赤いつり橋と箱桁橋(これはどんな橋だかわかりません)があります。この海峡は海流が速いことで知られていますが、小型フェリーは近くの島々を行き来しており、平戸港への到着と出発を知らせる船の汽笛が町に響きます。また、小さな漁船は潮の流れや渦を避けて、地元の名産であるアゴを求めて静かな海域に出漁して行きます。

鄭成功が祀られている神社

平戸の中心部には落ち着いた石畳と細い路地が入り組んでおり、徒歩で散策するのもいいでしょう。松浦藩主の旧邸宅は高台にあり、大名家に伝わる品々を展示する博物館になっています。また、鄭成功、別名国姓爺に関するコーナーもあります。鄭は1624年、平戸で中国人商人と地元の日本人女性との間に生まれました。鄭は8歳で中国に渡り、明朝への忠誠とオランダからの台湾解放の功績で、今でも中国で讃えられています。

平戸島のほかの地域は、水田、砂浜、教会などのどかな田園風景が広がっており、そこには江戸時代に隠れキリシタンのコミュニティーがあったことを思い起こさせます。生月島には西海岸にあるミサゴが繁殖する玄武岩の断崖絶壁や、かって近海で行われていた捕鯨の歴史を紹介する博物館があり、一見の価値がある島です。

18世紀、アイザック・ティツィングが描いた、長崎の出島にあったオランダ商館の見取り図。                    出典: Jan Arkesteijnによる画像提供

1642年、ポルトガル、オランダとの貿易の拠点は平戸から長崎に移りました。三日月形の人工島である出島は、現在、江戸時代にオランダ人が居住していた時の姿にほぼ復元されています。もちろん原爆爆心地公園や原爆資料館は必見で、何かを考えさせられる場所です。日本の唯一の玄関口となった長崎は、長い年月を経て、活気ある歴史と文化を生み出し、日本で最もユニークな場所のひとつとなりました。佐賀県には、有田、伊万里、唐津といった焼き物の町があり、唐津は1988年に公開されたリュック・ベッソン監督の映画「グレート・ブルー」(海外での題名は「The Big Blue」)のモチーフとなったジャック・マイヨールが初めてダイビングを学んだ場所でもあります。

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