足跡をたどる
神奈川県 横須賀市
横須賀にあるアダムスの家族の墓。出典:ウィキメディア
德川家康はウィリアム・アダムスの忠誠に報いるために、幕臣である旗本の地位を与えました。この地位には領地も含まれており、江戸の南に位置する三浦半島横須賀の逸見(へみ)がその領地でした。小高い丘の上にある静かな公園には、アダムスの日本人妻お雪と子供たちの墓がありますが、三浦半島と横浜、川崎、東京を結ぶ京浜急行電鉄の「逸見」と「按針塚」という2つの駅名以外に、彼との関係をうかがうことはできません。按針塚はアダムスの日本名「三浦按針」とお雪や丘を意味する塚に由来します。
現在、横須賀はアメリカ海軍第7艦隊の軍港として知られています。海軍基地に隣接する三笠公園は、日露戦争(1904~1905)の英雄である東郷平八郎提督乗艦の旗艦三笠にちなんで名づけられました。1899年から1902年にかけてイギリスのバロー・イン・ファーネスのヴィッカーズ社で建造されたこの戦艦は、この地に常設展示されており、時代は違ってもアダムス、横須賀、イギリスといった歴史の繋がりを感じさせてくれます。
鎌倉は禅寺や大仏、美しい海岸、サーフィンの町です。アダムスは仲間の船員たちと共に大仏を訪れましたが、神聖な場所での彼らの振る舞いはあまり良く思われなかったそうです。横浜は1868年の明治維新以前から、海外からの駐在外国人コミュニティーの拠点として、日本側で開発されました。現在も山手地区を中心に国際色豊かな活気ある町で、多くの外国人が暮らしています。
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