ウィリアム・アダムスの歴史

初期

 アダムスは1564年、イギリス南部の町ジリンガムに生まれ、12歳の時にライムハウス(現在はロンドンの一部だが当時はロンドン郊外の造船業の盛んな地域)のニコラス・ディゲンズという海運業者に弟子入りしました。彼の成長期は、イギリス人がヨーロッパからさらに向こう側へ航海しようとする試みが組織的に始まった時期と重なり、彼は常に語られていた冒険の噂や想像を絶する富の物語を聞いていたことでしょう。また、この時代は近隣諸国、特にイベリア半島、ポルトガル、スペインとの宗教間対立が激化していました。戦場は、新興のオランダ共和国の領土から、新たにヨーロッパの支配地となった地域、フィリピンやスパイス諸島のイスラム教スルタンまで、世界中に広がっていました。

このような対立とそれに伴う貿易封鎖はイギリス経済を疲弊させ、その結果、イギリスはヨーロッパ外の新たな貿易相手を探すようになり、その一つが日本でした。

1790年に描かれたチャタム造船所の様子。16世紀半ばにチャタムで設立された造船所は、その後、隣接するジリンガムにも進出した。(出典:ウィキメディア)

1588年、数十年にわたる対立の後、スペインとの戦争が勃発しました。イベリア半島は、「イングランド問題」に終止符を打つため、イギリス諸島への侵攻を試みました。アダムスは、英国内のたくましい船員たちとともに、国の独立と、当時の人々にとってさらに重要と思われたプロテスタント教徒を守るために入隊しました。

アルマダの攻撃では武装した商船リチャード・ダフィールド号に乗り、初めて参戦したアダムスは、自分が生還しイングランドが致命的な打撃を避けられたことに、心から感動したに違いないでしょう。

バーバリー社での航海はイスラム、カソリックと対抗するプロテスタント国であるイギリスのためになることと同時に、自身の稼ぎも大きかったのです。アフリカへの航海で、アダムスは長距離航海者としての貴重な経験を積み、船乗りの間で尊敬される人物になったことは間違いないでしょう。そのため、アメリカ大陸の南端にあるマゼラン海峡を経由して太平洋を目指すオランダの航海で、上級士官の一人として採用されました。

スペインから見れば、オランダ共和国は反スペインの属国でした。しかし、1596年イギリス、フランスとの三国同盟により、事実上の独立国家として認められました。アダムスの航海は、事実上の独立後初めてアメリカ大陸西部へ向けて出発したものであり、オランダの発展にとって非常に重要な一歩と見なされました。また、貿易だけでなく軍事的な任務もあり、イベリア半島の権益を損ねることが第一の目的でした。アダムスは、オランダの政治的目的だけでなく、英国の政治的な目的にも貢献したのです。